2011-11-11

This is New York!

アメリカ話続きます。

「This is New York!」

これは、仲が良かったGrantee達でよく使ったニューヨーク生活の「スローガン」。

昔よりもすごく安全になったニューヨークだけど、それでも、やはりニューヨークはニューヨーク。

Angelaは一人の女性がひったくりの被害にあったのを目の前で目撃。犯人は若い男3人で逃走。
同じ頃、私は夜の地下鉄の中で、ドラッグで完全にイっちゃってる兄ちゃんに絡まれて怖い思いをした。

その後顔を合わせた時、お互いに怖かった話をして、「ここはニューヨーク!気をつけよう」と二人で話した。


今年のニューヨークの夏は暑かった。
40度を超えて、体感温度は43度と発表された。

私は、日本では絶対にしないような薄着で出かけた。
暑すぎるし、みーんな薄着で歩いているから、平気。

そもそもここには、「腕が太い」という揶揄をする人なんて1人もいない。

ある日、Angelaもノースリーブに短パンという服装だった。
「普段は絶対にこんな格好しないんだけど、ものすごく暑いから」

そして、そういうときは、決まって「This is New York!」と言って笑った。

「旅の恥はかき捨て」的な意味ではない。

上に少し書いたけれど、ここでは誰も他人を規定しようとしない。

そして、他人の目を必要以上に気にしなくて良い。


私が、自分の腕って太いよなと思いながらもノースリーブを着る。
誰もそれを揶揄しない。

食べ過ぎの日が続いて、少し太る。
誰もそれを揶揄しない。

知り合った人が、私が結婚しているとわかると、
「1人で来たの?だんなさんに会いたいでしょう?」
という人はいても、
「へ?結婚しているのに来たの?だんなさんがよく許したね。ってか、だんなさんのお世話はどうするの?」
なんていうふざけたことを言う人は1人もいない。

ちなみに、これは、実際に渡米前に少なからずの人から言われた言葉。


容姿、体型、国籍、人種、属性・・・・すべてにおいて、誰も何も言ってこない。

Because this is New York!

人種の坩堝と言われるニューヨーク、世界中から移民が集まってきているここでは、それは衝突を避ける知恵でもあるのかもしれない。


私とAngelaは本当にこの言葉を良く使った。

理不尽だなと思うことが起こった時。
「しょうがないね。だってここはニューヨークだから」という風にも使った。


危機管理のため。
自由のため。
怒りを飲み込むため。

私たちはいつも「This is New York」と言った。


そして、ある日、私は一冊の絵本を見つけた。

タイトルはずばり

「This is New York」

子供向けのニューヨーク紹介の絵本だ。

ThisIsNewYork.jpg


結構あちこちの本屋さんで見かけた。

最初は、買うつもりはなかったんだけど、帰国直前、気が変わって購入した。

「This is New York」

良いことにも悪いことにも使えた言葉。
そして、自分が自分でいられるという確信の言葉。

私たちには、とても大事な言葉だった。
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tag : 2011アメリカ/生活・街

2011-11-07

We don't say "Goodbye".....See you soon!!

帰国して約1ヶ月たちました。
ニューヨークでのリサイタル前からばたばたしていて書けていないことをすこしずつ書いていこうと思います。
3年前のアメリカ旅行記みたいに、いつ書き終わるかわかりませんが・・・。

まずは、いきなりですが最終日のことを。


ACCでの最後のミーティングのこと。
最後のミーティングの日は、担当のCecilyだけでなく、オフィスにいる全スタッフとランチをしながらのミーティング。
アメリカで学んだこと、印象深いできごと、印象深い人、などなど、この半年を振り返る。
ピザを食べながら、雑談もしながら。

一番嬉しかったことを聞かれたときには、やっぱりニューヨークでリサイタルをすることができたことを挙げた。

Granteeのイベントには、他のGranteeが見に来るのは常だが、リカのリサイタルには、これまでにないくらいほとんどのGranteeが集まったと言われて、なんだか嬉しかった。

Granteeとしての生活以外にも、色々なところに話題は及ぶ。

スタッフの一人Marleneが言う。
「リカはセロリが好きなんだって。アメリカに来たら、セロリが株のまま売っていて、おまけに安いので早速セロリを買って、お鍋一杯にスープ作ったんだよね!」

Jenniferが言う。
「リカはブルーベリーも好きで、毎晩食べてたんだよね!日本ではあんまり見かけないんだって」

また、別のスタッフが言う。
「リカは食事のブログを書いていて、だからいつもごはんの時に写真撮るんだよね!」


食べ物の話ばかりかい!


わいわいと、明るく話していたので、もう明日には出国するという実感は全然ない。

最後に「この半年を一言で言うと?」と聞かれた。
これは、日本語でも苦手な質問。

だけど、この時はすらっと一つの単語がでてきた。
日本語だと、ちょっと恥ずかしいかもしれないような言葉だけれど、事前に考えていたわけでもないのに、ある一つの単語が本当に口をついてという感じで出てきた。

「どうしてその単語?」と聞かれる。

理由もすらすらと出てくる。

みんなが、しーんとして聞いている。


半年前、ニューヨークに着いたときは、英語にも自信がなく、こんな年齢になってからの初めての外国での一人暮らしで、期待よりも、ただただ不安だけを感じていた。ホテルについて、私が最初にしたことは、嘔吐だった。極度にストレスを感じた時、嘔吐してしまうのは昔からのことだ。
何度かトイレに駆け込んだ。

その次の日、アパートに案内してもらう途中で、ランチをとった。その時に案内してくれたACCのスタッフMarleneが私の写真を撮ってくれた。
今見返すと、顔中に「私は不安です」と書いているような表情だ。

それが、その半年後には、十数人のアメリカ人相手に、「私の半年間はこんな風で、こんな風で、こんなだったんだー!」と英語で説明しているんだから、自分でもびっくりだ。

ランチは終わって、本当にいよいよ最後のミーティングをCecilyのオフィスで。

最後のミーティングだから、これまでみたいに「来週の予定は」とか「次回のこのイベントでは」とかそういう話題はもうない。

そして、ミーティングの最後に彼女が言った。

「We don't say "goodbye", we say "See you soon!"」


ひとつラッキーだったのは、この夜、一人のGranteeのスタジオのオープニングがあり、再びスタジオで数人のスタッフに会えることだった。

ブルックリンにあるそのスタジオで、4人のスタッフと再び会う。
そうして、本当の最後のお別れをした。
お昼は、まだ夜があるからと思っていて、何となく余裕だったけれど、さすがにこれで本当に出国してしまうんだと思うと、すごく感傷的になり、別れ際、スタッフとハグしてお別れを言っている内に、ぽろぽろ涙が出てきてしまった。

それでも、私たちは「Goodbye」とは言わず、「See you soon」と言って別れた。



最後の全体のMeetingで、私が選んだ一言は、印象深かったようだ。

帰国後にお礼のメールを全スタッフに送ったら、何人かの返事にはその一言の事が書かれていた。



出発の朝、アパートを出たところで、聞き慣れた声で「リカ!」と呼びかけられた。
スタッフの一人、Marleneが立っていた。

彼女も昨日私が選んだ単語を使って、これからの私を激励してくれた。
「You can do it!」
そして、彼女が手配してくれた車に乗る。
名残惜しくて、なかなか車の扉を閉められない。
でも、いつまでもそうしているわけにもいかない。
もう一度、車の中から「Thank you so much! See you soon!」と言って、思い切ってドアを閉めた。

車の中から振り返ってMarleneを見る。
手を振ったけれど、反応がない。
ガラスが遮光のため少しスモークがかかっていて、外からは中が見えないんだった。
でも、Marleneはずっと見送ってくれていたた。
車が角を曲がって見えなくなるときまで、Marleneはそこに立ったまま、見送ってくれていた。



今から7ヶ月前の4月、私にとっての「非日常」の生活が始まった。
しかし、いつしかそれは「日常」生活となった。

今、日本に帰ってきて振り返って、また、長い人生からみれば、やはりあれは「非日常」の特別な日々だ。
だけど、間違いなく私はニューヨークで「日常」を生きた。

日本に帰ってきて、日本での日常生活が再開された。
相変わらず、忙しくあちらこちらと飛び回っている。

私が、私以上でも私以下でもなく、また、誰かに属した存在ではなく、本当にただの「私」として存在することができたニューヨークが大好きだ。
明日にでも、ニューヨークに帰りたいと思う。

そう。

ニューヨークは、私にとってすでに「また行きたい」場所ではなく「帰りたい」場所になっている。

次はいつニューヨークに帰れるだろう。


今週ACCニューヨーク本部のスタッフのうち2人と東京で再会できることになった。
東京のスタッフにも久しぶりに会う。


先日はニューヨークのAngelaとチャットした。

タイに帰国したSomからは、2月に日本を訪れる時には、リカのいる金沢にも行きたいというメールが来た。

あまりこのブログには登場しなかったけれど、香港から来ていたGranteeでキュレイターのTinaが、それに合わせて、彼女も日本を訪れようと計画を始めたという連絡もあった。そして、Somと共に金沢にも行きたいとのことだ。
彼女も本当にたくさんのことを私に教えてくれた。ものすごく頭が良くて、私は彼女にとてもあこがれていた。
彼女は一足先に8月に香港に帰国した。

帰国したその他のアーティスト達からも、続々とExhibitionやイベントの案内のメールが届く。


私のACC Granteeとしての生活は終わったけれど、アメリカだけじゃなくて、アジアの各国に大事な友人ができた。

このネットワークは、私のACC Grantee生活で得た宝物だ。
音楽家だけじゃなく、普段の自分の音楽活動だけでは知り合えないような専門家とも沢山知り合った。

アーティスト、サウンド・アーティスト、ビジュアル・アーティスト、ペインター、映画の研究者、映画音楽の研究者、ダンスの研究者、ダンサー、俳優、演劇の研究者、キュレイター、アート・エデュケーションの研究者、フォトグラファー、テレビのディレクター・・・・
もちろん、多くの作曲家や演奏家たちとも知り合った。


それぞれが自分の国に帰国して、またそれぞれの活動を続けていく。

ニューヨークでは今も、新しいGranteeが来て、Granteeとしての生活を終えたアーティストが自分の国に帰国する・・・・めまぐるしく人が入れ替わっているのだろう。

私が日本での日常を再開したように、それぞれがそれぞれの国でそれぞれの日常を生きていく。

そうして、自分のするべき「仕事」をしていれば、再会の時は必ず訪れる。

だから"Goodbye"は言わないのだ。


"Everyone,see you soon!"




特によく顔を合わせたスタッフです。
プログラムのみじゃなくて、あらゆる場面でのサポートをしてくれました。
LastMeeting2.jpg

tag : 2011アメリカ/生活・街 2011アメリカ/ひと

2011-10-13

Som

友人シリーズで、Somのこと。
彼女と私は、1日違いでニューヨーク入りした。
初めて会ったのはACCのオフィスだった。
銀行のトラブルで、私達の口座が勝手に閉じられてしまい、別の銀行に新しい口座を申請に行かなければならなったので、オフィスに呼び出された時だ。
スラリと背の高い彼女と互いに自己紹介した時、彼女は「Somって呼んでね。私の名前はすごく長いから」と言った。紙に名前を書いてもらったら、本当にすごく長くて、私は今も彼女の正式な名前を発音できない。
彼女はタイから来たVisual Artistで、人懐っこくて、いつもニコニコしていた。
銀行での手続きが終わって帰ろうかなと思った時、突然Somが「今からフラッシングに行こう!」と言い出した。
「今から???」
フラッシングとは、クイーンズ地区の北の方にある町で、ここにもチャイナタウンがある。
たった今、銀行でフラッシングのチャイナタウンも面白いよと教えてもらったばかり。

今以上に英語がまずく、自分が発する言葉すべてに自信を持てず、元来の人見知りもあって、共通言語が英語しか無い初対面の人と遊びに行くなんて考えられない事だったが、Somは全然気にする風でもなく、「リカん家の沿線だって言ってたよね。じゃ、地下鉄分かるよね!私着いて行くから!」と、もうフラッシングに行く事は決定していた。
私は、自分の英語のまずさにより、会話が続かなかったり気まずい沈黙が流れたりする事を恐れていた。

でも、数分して、全然そんなことは心配する必要の無い事だったとわかった。
「私、英語に自信無いんだけど・・・」と言うと、彼女は「大丈夫!私、アジア人の英語は慣れてるから!それにさっきからリカと私はちゃんとコミュニケートできてるじゃん!」と、からっと言う。

そうして、フラッシングに向うまで、お互いの専門の事、日本の事、タイの事など話題は途切れる事無く楽しいおしゃべりが続いた。
フラッシングの町をぶらぶらして、中華料理屋さんに入り夕食。
スーパーマーケットが色々と安かったので、買物をして、帰途についた。

彼女は美術系のイベントの情報をよく流してくれて、一緒に出かけた。
そして、彼女は人脈を広げたりイベントのオーガナイズする能力に長けていた。
面白そうなイベントや場所、おいしそうなレストランを見つけては、「今度○○に行こう!」とメールが来て、よく出かけた。

一度、彼女のアパートメントでパーティした時には、「どうやってたった数週間でACC以外にこんなに知り合いが出来たの?」って言うほど人が集まった。
そして、彼女の紹介でACC以外で日本人のアーティストと知り合う事もできた。

彼女の作品を2回見るチャンスがあったが、一つはドキュメントフィルムで、東南アジアのヌードル文化を取材したものですごく面白かった。
このフィルムがきっかけで、ACCで結構大きなヌードルパーティが開かれた。


私は彼女と知り合わなかったら、ニューヨーク生活の充実度は今感じているものよりももっと低かっただろう。
ちょっとイヤな事が会った時、落ち込んでいる時、どうしても前向きになれない時・・・・彼女の笑顔は何度も私を助けてくれた。
いつもいつも、明るい気持にさせてくれた。
彼女と一緒に笑っていると、どんないやな事も全然たいしたことじゃないような気がしてきた。

彼女は本当にいつも笑っていて、たまに自分の言った事に自分でウケて、うけすぎて涙を流して笑う事もあった。
彼女は、周りにいる人すべての人をいつもハッピーにしてくれた。

おだやかで、いつもニコニコしている彼女だったが、自分の仕事には非常にプライドを持って取り組んでいて、シリアスではない仕事は決して許さない厳しさも持っていた。


NYで最後に会ったのは、私のアメリカ出国数日前にギリシャ料理を食べに行った時だった。
このレストランも、Somが情報を仕入れて来たレストランだった。
別れ際、二人はそんなに感傷的にならなかった。
なぜなら、彼女は展覧会のため、来年2月に日本に来る事が決まっている。
それまでの、しばしのお別れだからだ。

彼女は、私がアメリカを出国した次の日から、初の個展をニューヨークで開催した。
それを見る事ができず、すごく残念だ。
だから、2月の彼女の日本での展覧会をすごく楽しみにしている。

ここでも、やっぱり課題になるのは、2月の再会まで、英語力をキープすることですね・・・。
がんばろ。

Som,
Your smile always makes me happy!!!
with rica_s
初めて会った日。
フラッシングの中華料理屋さんで。

P6290288_s.jpg
ヌードルのフィルム上映前に、作品について説明しているSom。

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彼女の部屋でパーティ。
彼女は一番左端で笑っている。
この後も、続々と人がやってきた。

003-1.jpg
私のアパートで。
撮影はAngela。
2011-10-10

Angela

時系列関係なく色々と書きそびれている事を書くつもりですが、これから書こう。
Angelaのこと。

と思って、色々書き出したんだけど、めちゃくちゃ長くなってしまい、書き直し書き直し・・・・。

彼女は、映画音楽の研究をしていて、著作もある。
PA022191_s.jpg


いろんな所に本当によく一緒にでかけた。

彼女は、これまで現代音楽のコンサートって行った事なかったらしいが、私が誘って、the stoneをはじめ、いくつかのコンサートに一緒に行った。
私は、英語を理解するのが難しいので、映像のイベントに行くのは避けていたのだが、彼女がいくつか誘ってくれて、filmイベントにいくつか行った。
こういうとき、帰りはお互いに質問しあって、分からない事を教え合いをした。

美術に関するイベントにもよく出かけた。
ミュージカルにも出かけたし、それから、一緒に遊びにも行った。
勿論、それぞれの研究があるので、毎日毎日一緒にいた訳じゃないが、お互いがお互いを尊重しながら、日々過ごした。
芸術の話、Filmの話、現代音楽の話、政治とか、文化とか、それから他愛無い話も、彼女とも本当にいろんなことを話した。
彼女と私は、自分の専門外のことも、何にでも興味があって、何でも知りたい!と思っていたところがとても似ていた。情報交換もよくした。
何より、彼女といて楽だったのは、話題が途切れて2人とも黙っていても、その時間が決して退屈ではなく、ただ心地よい沈黙の時間が流れる事だった。

私の出国前夜、一緒に晩ご飯を食べながらいつもみたいに、いろんな話をした。
だけど、この夜は、ちょっと話題が途切れがちだった。
いつもなら、「アメリカってほんとに食事の量多過ぎ!」と言いながらも、ほとんどたいらげていた私達だったが、この日は二人ともあまり箸が進まなかった。
さっきから色んな話もしながらも、もうこれがNYで会うのが最後になるって2人とも分かっているから、いつものような明るい雰囲気の食事にはならなかった。

Angelaが言う。
「私のiPhoneの中はリカの写真がいっぱいだ。ほんとにいろんなところへ一緒に行ったね。一緒に出かけたのはリカが一番多い。」
私もそうだ。
よく一緒に行動していた気の合う仲間の内、Angelaとは一番よく出かけた。
そして、別れ際は「See you tomorrow!」か「See you next Wednesday!」など、すでに次に会う日が決まっている事がたいていだった。

だけど、もう次はない。
勿論、お互いがお互いの仕事をきちんとしていれば、きっとまた会う日が来る。
だけど、それが一体いつになるのか、誰にもわからない。

突然Angelaが言った。
「明日、空港まで見送りに行く!」

私は貴重なグラント期間の時間を、私の見送りの為に減らして欲しくなかったので、「忙しいんだから、来なくて良い!」と言ったが、彼女は引き下がらず、結局見送りに来てくれる事になった。

「明日、もう一度会えるって分かったら、急に元気出て来た!」と彼女が言う。
本音を言えば私も同じ思いだ。
わざわざ私の為に時間を割いて欲しくはないが、でも、もう一度明日も会えるというのが嬉しいのもホントだ。
そうして駅で「See you tomorrow!」と言って別れた。

出国当日。
チェックインをすませたころ、Angelaが空港に来た。
一緒に朝ご飯を食べる。
これというレストランがなかったので、マクドナルドの朝ご飯。
「アメリカ最後の食事が、なんでマクドナルドやねん!」とゲラゲラ笑いながら。
ここでも、いつも通りの普通の話をするだけだった。

いよいよ搭乗の時間が近づいて、手荷物検査場に向かう時間が来た。

それまで、ニコニコ話していたのに、案外涙もろい私がまず泣き出してしまい、Angelaに抱きついて号泣してしまった。
彼女もぽろっと涙ぐむ。

感謝の言葉を言う。何度言っても、どんな風に言っても、足らない。全然足らない。

楽しく愉快に過ごせただではなく、私は彼女から色んな事を学んだ。
それまではあまり興味を持っていなかった映像のこと、それから、中国と香港について。
沢山のことを教えてもらった。

いや、沢山のことを教えてもらって、お世話になったという、そんなことじゃない。
今や彼女はGrantee仲間ではなく、私の大事な友人であるという、そのことに、感謝の気持ちでいっぱいだ。

帰国したら、それぞれの忙しい日常が待っていてなかなか会えない事くらい、2人とももう分かっている。
だけど、きっとまた会えるはずだ。
私たちは、大事な友人同士だから。

「リカはいつもニコニコしていて可愛いのに、泣いちゃダメだよ!」と言うAngela。

「そうだね。私、かわいいよね」と私が答えて、2人で涙を流したままゲラゲラ笑った。

そして私たちは「Bye!」は言わず「See you soon!!」と言って、別れた。
私が手荷物検査場を抜けるまで、彼女はずっと見送っていてくれた。

搭乗口へ行く。
そこへ、彼女から携帯にメールが入った。
そこには、私が心の底から嬉しくなるような言葉が書いてくれてあり、もともと泣いていた私、さらに涙が止まらなくなって、ボロボロ泣いた。
周りの人は、ちらちらこちらを見ていた。


私たちはまた会える。
香港か、日本か、アメリカか、それはわからないけれど、きっと会えるだろう。

彼女はたまに、ここを見ている。
日本語は読めないけれど、写真を見て楽しんでいると言っていた。


Angela,
I would like to thank you again for everything you did for me to make my stay pleasant.

P9301950_s.jpg
Brooklyn Bridgeを歩いて往復した時の写真。

P1110668_s.jpg
私のコンサートに、彼女とSomで花束を用意してくれていた。舞台にはAngelaが花束を持って来てくれた。
Angelaの顔は映っていないんだけど、私の好きな写真です。

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Somと三人でタイ料理を食べに行った時の写真。
茄子のヘタを見てAngelaが「これ何?」というので、「茄子の頭の部分だ」と説明している私。

tag : 2011アメリカ/ひと

2011-10-08

帰国しました

昨日、帰国しました。

コンサート終了後、帰国まで、びっくりするほど忙しくなり、ブログの更新どころか、ツイッターすら書く時間がないほど、走り回っていました。

コンサートの前から帰国まで、書きたい事はいっぱいあるし、下書きしたままの記事がいくつかありますので、いつものことですが、時系列気にせず、アップしていきたいと思います。

ひとまずは無事帰国のご報告でした。

半年間のACC Granteeとしてのニューヨーク生活を終えた今は、もう感謝の気持ちだけです。
アメリカでお世話になった方々は勿論、日本からいつもエールを送ってくれた沢山の人たちにも、心から感謝します。

PA042421_s.jpg

アメリカ出国前日、最終meetingの後、ACCオフィスの入っているビルの屋上にてACCスタッフと記念撮影。


おまけ。
010_s.jpg
出国前夜、こらえきれずに泣き出した私の涙を拭いてくれる、スタッフの1人、Marleneです。

tag : 2011アメリカ/生活・街

2011-09-28

引っ越し

コンサートの後、更新できてませんが、コンサートが終わって、腑抜けになっていた訳ではなくて、目が回るほど忙しい日々です。
帰国がいよいよ近づいて来たからですね。

来る時は、スーツケース1つで来ましたが、帰りはやっぱり荷物が増える・・・。
夏に、パートナーがニューヨークまで来てくれた時には、多少は持って帰ってもらったんですが、それ以降も増え続ける。
何がそんなに増えるかというと、研究や調査の資料ですね。

色々考えて、引っ越し便を使う事にしました。
家具等がないので、ミニマムのパックで。
P9251508_s.jpg

段ボールを持って来てくれます。
段ボールをわざわざ貰いに行ったり、買いに行ったりするのは面倒なので、これは便利。

165パウンドまでと決められているので、きっちりきっちり計りながら荷造りです。
P9221350_s.jpg
これは、1盛り10パウンドです。

そして、部屋は今こんなことなってる。
P9281792_s.jpg

段ボールに白いメモ用紙がべろーんとくっついているのは、内容明細書のために、段ボールに入れた物を全てメモしています。
別送品なので、服やら何やら使いかけの鉛筆一本に至るまで、中に入れた物全てを書いて提出しなければいけません。

服も「服」じゃだめなんだそうで、
「婦人半袖コットンTシャツ ○枚」って感じで、きっちり書き分けが必要なんだとさ。
しかも、英語。
大変。


この荷造りの間にも、ギャラリーに行き、the New York Public Library for the Performing Artsに行き、the Stoneに行き、the Rouletteに行き、Juilliard Schoolに行き、音楽家の方とのmeetingに行き、ACCのオフィスにも行き・・・・と本当に、目が回るくらい忙しいです。

地下鉄の中では、iPod touchを使って、ブログの下書きをいくつか書いているのですが、それも、完成に至らず、結局何もアップロードできませんでした。

出発までジャスト1週間。
この調子で走り回っているので、更新は難しいかもしれませんが、帰国後になっても、書きたい事いっぱいです。
あと1週間。
もう、1週間ずっと寝ないで起きていたい!!!!

tag : 2011アメリカ/生活・街

2011-09-18

コンサート終わりました。

PORTRAIT CONCERT : RICA NARIMOTO、無事に終了しました。
沢山の方に助けられて成し遂げる事ができました。
感謝の気持ちで一杯です。

詳しいレポートはまた。
ひとまずは、コンサート終了のご報告でした。

私のフツーのデジカメで撮ってもらったので、ノーフラッシュのため、ブレブレですがこんな感じ。
もっといいカメラを持っている友人が、撮影を担当してくれたので、それが届いたらまたご紹介できると思います。


P9171101_s.jpg

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と、書いたそばから、彼からまずは2枚だけ送るね!と、写真が送られて来ました。
Rica-Performs_s.jpg

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彼に頼んで正解!
プロフィール

Author:りか♪
和歌山県生まれ。
愛知県立芸術大学作曲専攻を首席で卒業、同大学院修士課程、博士後期課程修了。博士(音楽)。
学部卒業に際し桑原賞(県知事賞)受賞。
現音作曲新人賞などのコンクールに入選する。2008年第29回入野賞受賞。
現代音楽演奏グループ「アンサンブルトゥデイ」のメンバーとしてその解散まで積極的な作曲活動を展開する。また「ing Project」代表として、レクチャーやコンサートの企画を行った。
作品は、ALM RECORDSCAFUA RECORDSよりCDがリリース、ティーダ出版やイタリアのARS PUBLICA社より楽譜が出版されている。
愛知県立芸術大学、金城学院大学(名古屋)、名古屋芸術大学、金沢大学講師。名古屋市立大学芸術工学部研究員。金沢在住(関東、関西、東海、北陸の4つの地方を年中飛び回っている)。
2010年度Asian Cultural CouncilのGranteeに選出され、2011年アメリカ、ニューヨークにて研究調査を行う。

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